上野店は、1923(大正12)年9月1日の関東大震災の翌日に類焼、灰燼に帰しました。ただちに再建に取りかかり、1ヵ月後に仮営業所、2ヵ月後には仮店舗を立ち上げました(このとき初めて土足入場を実施)。 同時に、救護活動にも積極的に取り組み、街頭で医療活動、麦茶のサービスを行うとともに、罹災者には10万袋もの「慰問袋」(食料品、日用品などをパック)を配りました。 東京市からの委嘱で、13ヵ所に「東京市設衣類雑貨臨時市場」を設け、衣類や日用品の供給にもつとめました。 1925(大正14)年には、松坂屋いとう呉服店を松坂屋に改め、商号から呉服店を外した最初の百貨店になりました。品揃えの拡大により、呉服店の名がそぐわないものになっていたのです。 その一方、呉服にも力を注ぎ、1925(大正14)年から「流行会」を開催し、その年流行の色と模様を提案するようになりました。情報の発信基地であったわけです。
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慰問袋
仮店舗
商号統一 |