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松坂屋は、1910年(明治43年)に百貨店に業態を転換して以来、時代に先駆けた新たな相貌を示し続けてまいりました。制服、土足入場、エレベーターガール・・・。これらは今ではあたりまえのことですが、当時としては画期的なことでした。松坂屋が先鞭をつけた出来事を「松坂屋ことはじめ」として紹介してまいります。 |
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多目的ホール |
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1910年(明治43年)2月に、「株式会社いとう呉服店」を創立し、3月には名古屋の栄町角にデパートメントストアを開設しました。このとき3階に設けたのが百貨店初の多目的ホールです。「欧米のソレにも絶て例なき善美を尽せる演舞室」と当時の新聞も賞賛しました。 |
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制服 |
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他社に先駆けて制服を定めたのは1918年(大正7年)のことです。縞の木綿にモスリンの帯という和服スタイルで、規定縞と称しました。この規定縞の制服は、1923年(大正12年)に大阪店がオープンした際、大層な評判となりました。
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土足入場 |
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百貨店の発達史上一時期を画するといわれる土足入場に踏み切ったのは、銀座店が最初です。誰もが立ち寄れる店舗として、以後、百貨店の大衆化が進みました。
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社名から呉服店を外す |
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1925年(大正14年)、会社創立15周年を機に商号を株式会社松坂屋に統一しました。
近代的店舗や施設、商品内容の進歩拡充からみて、もはや呉服店という名まえは現実にそぐわないものとなっていたのです。 |
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エレベーターガール |
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エレベーターガールを登場させたのは上野店です。関東大震災後の新店舗が開店した1929年(昭和4年)4月1日のことでした。「昇降機ガールが日本にも出来た 上野松坂屋の新館で初試み 婦人職業の新進出」との見出しが新聞に躍りました。
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地下鉄と直結 |
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1930年(昭和5年)1月1日、地下鉄広小路駅と上野店の地下売場がつながり、地下鉄と直結した最初の百貨店となりました。上野店は、都市の中心地区を走る地下鉄と結びつくことで一段と便利さを増していきました。 |
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名店街 |
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わが国特有の名店街は、名古屋店が1936年(昭和11年)12月1日に開設したのが最初です。「いよいよ1日より開設『東西名物街』。古くから名代の老舗と謳はれる東西一流の代表的専門店を常設致しました」と広告にあります。
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カルチャーセンター |
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1937年(昭和12年)3月5日、大阪店が増築落成しました。 このとき7・8階に開設したのが、わが国初のカルチャーセンター「松坂倶楽部」です。百貨店業界に新機軸を画する施設でした。 |
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パーキングビル |
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銀座店は、東京オリンピック開催の前年(1963年)、日本初のエレベーター式のパーキングビルを建設しました。モータリゼーション(自動車の大衆化)の進展を見越しての英断でした。
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