團十郎の名を冠した包丁に
使う人の人生を想う

文/近藤マリコ
2021/5/10

木屋

鎌型包丁

佇まいのよい包丁とはなにか

日本橋の木屋で包丁を買ったといえば、それは料理することをこよなく愛しているということの不文律であると言っても過言ではない。娘が結婚する時には木屋の包丁を持たせたいという嫁入り道具の慣習はまだまだ過去のものではないと思う。それほど木屋という名に心ときめかす人は圧倒数いるのだ。
木屋の包丁と聞いて筆者がすぐに思い浮かべるのは、40年以上料理教室を主宰された料理家の先生のことである。先生のご自宅に取材でお邪魔した時に、台所(キッチンではなく台所と先生は呼んでいた)の棚に、よく使いこまれ、研がれて細くなっていた木屋の包丁があった。なんと表現するのが正しいのかわからないが、細くはなっていても、なんとも楚々とした佇まいの包丁に見入ってしまったのを覚えている。「何日おきに包丁は研ぐのですか?」と質問したところ、「そりゃあなた、切れなくなったなぁと思った時よ」と笑ってお答えになったのを聞いて、この方には一生かなわないなと思った。先生がその包丁を何年使ってきたのかは知る由もなかったが、一本の包丁には、使い手の暮らしぶりや性格や、大袈裟にいえば人生みたいなものが現れるのだなと実感した。先生が鬼籍に入られたと聞いた時、すぐさま頭に浮かんだのが、その細くなった木屋の包丁だった。

團十郎の名にふさわしい、ということ

木屋には「團十郎」の名がついた包丁があり、それは木屋ブランドの中でも最高峰を意味している。「粉末製鋼」という技術によって造られたコスミック鋼をステンレス鋼で挟み込んでいるため、錆びにくく、硬度の高い包丁が生まれたのである。つまり、お手入れはさほど難しくなく、長持ちして使いやすい包丁というわけだ。包丁に限らず、木屋の最高峰の商品には、この名がつけられているという。なぜ團十郎のブランドネームになったかというと、かつての木屋の主人が明治時代の歌舞伎役者・市川團十郎と親しくしていた縁で、名前を使うことを許されたらしい。
團十郎と聞いて、いつの時代の役者を思い浮かべるだろう。惜しくも8年前に亡くなった12代目か、それとも13代目襲名を控えている現・海老蔵か。筆者は、舞台を観たこともないのに僭越だが、團十郎といえばいわゆる「海老さまブーム」で多くの女性を虜にした稀代の名優・11代目が頭に浮かぶ。その理由はといえば、11代目團十郎の妻を主人公に書き上げた宮尾登美子の「きのね」を愛読しているからである。小説では、海老蔵時代の不遇や出自からくる妻の悲哀、息子が生まれてからのささやかな家族の幸せなどがつまびらかに描かれており、癇癪持ちで気難しいと言われた海老蔵の人生を一緒に味わっているような気持ちになる。脚光を浴びている人の人生にも日向と日陰があるということ、そして團十郎という名を背負うことの重さを、読むたびに受け止めている。
木屋の包丁「團十郎」にも、もしかしたら使う重みというのがあるのかもしれない。團十郎とは、そういう重さを内包した名前なのだ。そしてこの包丁を手に入れたなら、「團十郎」を理解して使いこなす人間でありたいし、「團十郎」を愛でていける人生でありたい、と思う。

團十郎の文字と紋が大きく刻印されている。包丁の重量感があるからこそ、包丁さばきが上手になるということを教えてくれている。

市川團十郎家と成田屋一門の定紋である“三升紋”と、市川團十郎の錦絵がデザインされた箱に入っている。ご存知の通り、暫をはじめとする歌舞伎十八番の衣裳には、この三升紋があしらわれている。

コスミック團十郎ツバ付(割込み)

鎌型包丁 刃渡り約180㎜

税込35,200円

/本館6階

専門の職人がお持ちいただいた包丁を有料にてお研ぎいたします。
(お預かりしてから1週間から1カ月程度かかります)

※数に限りがございますので、品切れの際はご了承ください。

コピーライター

近藤マリコ

Mariko Kondou

コピーライター、プランナー、コラムニスト。日本の古いコト・ヒト・モノに囲まれて育ち、その反動でフランス一辺倒となり渡仏を繰り返し、現在に至る。工芸・着物・伝統芸能、職人の世界観、現代アートや芸術全般、日仏文化比較、紀行文などのテーマを主に手掛ける。やっとかめ文化祭ディレクター。