お歳暮の歴史

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お歳暮の歴史

お歳暮のルーツは中国にあるとされます。中国では1月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元といい、天の神を祭る日とされていました。これに日本古来のお盆という祖先の霊を供養する行事がまじり、定着したのが「お歳暮」「お中元」といわれています。お歳暮は暮れに家々で行われた祖先の霊を祭るときの供え物を、近所の人やゆかりの人に分け合うことから始まったのです。

お歳暮は物品によって相手を豊かにしようというものではないので、水引やのしをつけて贈ります。たとえ扇一本だとしても、それに託されるのは魂ですから、心がこもっているのです。現在の紅白の水引が用いられるようになったのは、足利時代の中国との貿易の影響だといわれています。

お歳暮は江戸時代には、武士が組合をつくっていたため、このときにその組頭に贈り物をする習慣として根付いていきます。つまり、血縁に贈るように、準血縁であることの証として贈ったのです。1688年に刊行された日本歳時記には「下旬の内、親戚に贈物して歳暮を賀す。また知れるところの鰐寡孤独貧窮困苦の者にも、我が力に随って財物を賑わうべし。あるいは我にかつて恩恵ある人、師伝となれる人、我が身および家人の病よ療せし医師などのも分に随いて厚く物を贈るべし」と書かれています。この意味するところは、お歳暮はケチケチせず日ごろの感謝の気持ちを最大限に込めなさいということです。また、商人の世界では一年間の親交を感謝する意味から、得意先などに贈答を盛んに行っていたようです。今でも商店では名前入りの手拭いやカレンダーを配りますが、それは当時のなごりといえるでしょう。

お歳暮は明治時代に入ってからは、官吏が権力を持つようになり、官吏に対して高価な贈り物をすることによって、自分の生活の安寧を約束してもらうという別の性格を持つようになります。相手に感謝を込め祝福するものだったお歳暮が、利害をもとにした取引の要素を呈してくるのです。

お歳暮に込められていた贈答思想はわずか100年で違った意味合いを持つようになりましたが、江戸時代以前の魂を込めるという倣いが根底にはあります。ですから、この習慣はやがて使用人と雇い主の間にとどまらず、親しい友人同士にまで広がっていき、現在のお歳暮の風習となっているのでしょう。