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松坂屋「ひと・こと・もの」語り 文学のなかの松坂屋







馬車鉄道と上野店
夏目漱石(1867-1916)が、
乙鳥(つばくろ)や
    赤い暖簾の松坂屋
と詠んだ1886年(明治29年)の頃の上野店は、百貨店に業態転換する前の呉服店で、建物も和風でした。

江戸時代から続く店舗の横に、4階建ての洋館を建築したのは1917年(大正6年)のことです。 この建物を設計したのが、漱石の義弟にあたる鈴木禎次。
漱石は、この建築物を見ることなく、その前年の1916年(大正5年)に49年の生涯を閉じています。


明治中期、馬車鉄道が下町の交通手段として親しまれていました(馬車鉄道が市内電車にかわるのは1893年)。
当時の松坂屋上野店の銅版画の広告には、店舗とともに馬車鉄道が掲載されています。 『東京商工博覧絵 第二編上』(1885年)にも、上野店の前を走る馬車鉄道が描かれています。

「東京商工博覧絵」に載った上野店


漱石の見た、明治10年代、20年代の上野店を、写真や広告でご覧ください

夏物売出し

明治中頃のエッチング広告

夏物売出しの広告

第2回内国勧業博覧会(1881年)と上野店
【画面をクリックするとズームアップでご覧いただけます】
西条八十のみた松坂屋
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