Vol.49 高度成長期の松坂屋(昭和30年代)|松坂屋史料室
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 昭和31(1956)年の百貨店法施行当時の面積2万5,500㎡(栄町店を含む)からほとんど変わることなく推移していた名古屋店は、D館、E館の増築に踏み切りました。 まず、廃止予定の栄町店の売場面積989㎡を名古屋店に割り当てることとし、昭和35(1960)年7月に百貨店審議会に申請し許可されました。このときの増築は、昭和33年に竣工していた東北部D館の地階・1階の上に2、3階を重ねるもので、昭和35年10月に完成しました。 名古屋店はその後も工事を重ね、昭和36年6月にD館の4階から7階までが完成しました。続いて6,400㎡の増床が許可され、D館の東側に地下3階、地上7階建てのE館の増築工事を開始しました。E館の工事は順調に進み昭和39年6月16日に地下2階から地上4階までの営業を開始し、9月30日には7階までが完成。中部地区最大の店舗(売場面積3万3,880㎡)となって華々しく開店しました。松坂屋 史料室 企画展 Vol.49名古屋店増築記念ポスター(昭和39年) 絵:宮永岳彦会社創立50年記念全店大売出しポスター増築したD館・E館部分(昭和39年)松坂屋50年史より 「岩戸景気」は所得の増加と消費水準の向上をもたらし、百貨店業界の売上高も高伸しました。松坂屋の業績も好調に推移し、第99期(昭和34年3月―8月)の売上高は136億2,943万円(前年比114.0%)を記録。会社創立50年を迎え、記念の売り出しや催し物を開催した第100期(昭和34年9月―35年2月)は172億5,654万円(前年比120.0%)を売り上げました。 とりわけ歳暮期(12月)が快調で、名古屋店31.1%増、大阪店30.2%増など各店とも大きく数字を伸ばしました。 日本の経済は、昭和33(1958)年7月から昭和36(1961)年12月にいたる42ヶ月の「岩戸景気」、昭和40(1965)年11月から昭和45(1970)年7月にいたる57ヶ月の「いざなぎ景気」などの高度経済成長に支えられて大きく発展しました。昭和43(1968)年には実質賃金が戦前の基準(昭和9年―昭和11年)の2.4倍になるなど個人所得が倍増し、生活水準も向上しました。個人消費支出も昭和35年からの8年間で約3倍に増大したのです。 こうした経済全体の繁栄を基盤に、昭和30年頃から人口が大都市に集中する都市化の波が急激に進みました。その後、昭和40年には東京、名古屋、大阪の3大都市圏の人口が3,974万人となり、全人口の40%を超えました。 名古屋においても「名古屋開府350年」を迎えた昭和34(1959)年4月にロサンゼルス市との間に姉妹都市提携が結ばれ、さらに10月1日には昭和20(1945)年5月の空襲で焼失した名古屋城の天守閣も再建され、これで名古屋の戦後も終わったといわれました。 こうした高度成長の状況下、松坂屋名古屋店も久屋大通側の増築に踏み切り、昭和39(1964)年9月30日には7階までが完成、中部地区最大の店舗(売場面積3万3,880㎡)となって華々しく開店しました。 本企画展では当時の画像史料・社内報・広告・ポスターなどを展示・紹介いたします。高度成長期の松坂屋(昭和30年代)会期 : 令和4年2月25日(金)→5月23日(月)会場 : 松坂屋名古屋店 南館7階・松坂屋史料室入場無料【名古屋店の増築】【会社創立50年】

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