ファインアートコレクション|松坂屋名古屋店
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23「脇息に寄る裸婦」 27.0×44.4cm東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書 「マジョリカ壺にばら」 8F東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書 1888年 京都府生まれ1903年 浅井忠の聖護院洋画研究所に学ぶ1908年 仏に渡り、アカデミー・ジュリアンに入学1909年 南仏カーニュにルノワールを訪問し、    以後師事1925年 国画創作協会に第2部会員として    迎えられる1939年 北京を訪れる1952年 文化勲章受章1986年 東京にて逝去、享年97歳梅原龍三郎 (1888~1986)右/梅原といえば想起されるのが「赤」と「薔薇」。フランス留学時代、アトリエにベンガラ色の壁紙を貼ったり、後の住まいでも外壁や居間の壁などに赤を用いた。作家・吉行淳之介のエッセイに、旧制高校在学中伊豆に出かけた折、混んだ列車の中で、女性から、見事な薔薇の花束を傷まないよう持ってくれと頼まれ、それが梅原夫人であった、という話が出てくる。1943年古奈温泉疎開中の出来事と思われ、戦時中でもモチーフとなる薔薇は良いものを算段していたことがうかがえる。下/裸婦もまた、梅原の作品群の構成要素として欠くことはできないであろう。赤を背景にした量感溢れる裸婦の姿は、ルノワールの影響下から放たれ、日本の光の中で日本人の肉体を描くことに我が道を見出した、梅原42歳ごろの作品である。

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