日本生まれのジュエラー、
ミキモトのパールネックレス。

文/天野志穂
2021/6/10

MIKIMOTO

ザ ベスト オブ ザ ベスト

真珠へのこだわりが生み出す
オーセンティックな輝き。

突然ですが、6月の誕生石をご存知ですか? 答えはパール。パールと言えば、すぐに思い浮かぶのが「ミキモト」です。
誰も実現することができなかった真珠の養殖を、1893年に世界で初めて成功させたのが「ミキモト」です。“Pearl King”と称された創業者、御木本幸吉氏は、「世界中の女性を真珠で飾りたい」と、真珠に生涯を捧げ、歴史にその名を刻みました。養殖のすべてが美しいパールになるわけではなく、その美しさを決定づけるのは、色や形、サイズはもちろん、表面のなめらかさ、光沢、そして“巻き”と呼ばれる真珠層の厚みで、独自の評価基準に適ったアコヤ真珠だけが「ミキモトパール」と認められます。
その確かなクオリティに加え、美しいデザインと精緻な技術が国際舞台で認められ、世界に通用するハイジュエラーとして広く知られるきっかけとなったのが、パリ万国博覧会(1937年)に出品された「矢車」です。当時、欧米で全盛であったアール・デコ様式の流れを組んだデザインは、まるでアートピースのよう。さらに、分解・組み立てることで、帯留、ブローチ、リングなど、12通りに使い分けることが可能な多機能ジュエリーという、斬新なアイディアとそれを実現させる最高峰の宝飾技術に、見た人が驚嘆し、圧倒されたことは想像に難くありません。そのクラフツマンシップを継承した現行の商品のひとつが、クラッチバッグで、がま口のように開く構造には卓越した技術が必要なのだとか。誕生から1世紀以上、デザインから生産、販売、アフターサービスまでの一貫体制を整えている数少ない日本発のジュエラーの矜恃が伺えます。

パリ万博博に出品された「矢車」。付属のドライバーを使い、それぞれ用意された台座にパーツを組み合わせることで、指輪、髪飾り、ピンブローチなど、12通りの使い方ができるようにデザインされている。(御木本真珠島所蔵)

イヴニング・クラッチバッグ「minaudière(ミノディエール)」。アコヤ真珠、スピネル、アクアマリン、ダイヤモンド、白蝶貝、黒蝶貝で彩られ、圧倒的な存在感を放っている。

そんな「ミキモト」を語るうえで欠かせないのが、ブランドの代名詞でもあるパールネックレスです。女性なら一度は憧れるエターナルなジュエリー。最近では「コム デ ギャルソン」とのコラボレーションで、男性がパールネックレスを着けているイメージが話題にもなりました。ネックレスに使用される真珠は、厳しい基準をクリアした「ミキモトパール」のみ。さらに、一粒一粒個性の違う真珠を一本のネックレスに仕上げるために、同じ色、同じ光沢のものを並べていく”マッチング“という入念な作業を繰り返します。なかでもパールネックレスの真珠の並びは”連相(れんそう)”と呼ばれ、美しい輝きを放つために、特に重視されています。今回ご紹介する「ザ ベスト オブ ザ ベスト」は、通常100粒の真珠のうち、良質な10粒しか使用しないといわれるミキモトの選定基準のなかで、更に厳しい選考基準により、100粒のうち1粒にも満たない希少性の高いハイクオリティな真珠だけを選び抜いて使用した、まさに最高峰のネックレス。美しい真円、優美な色と光沢が醸し出すエレガントなムードに、誰もがうっとり魅入ってしまうはず。
最後に余談ですが、パールネックレスというとフォーマルなスタイルに合わせがちですが、個人的にはTシャツやニットなど、カジュアルなスタイルにさりげなく合わせるのが好み。繊細なものだから、取り扱いは丁寧に、そして着けたあとのアフターケアも忘れずに心がけたいものです。

パールネックレスのシグネチャーである“サークルM(Mマーク)”は、プラチナにダイヤモンドがセットされた特別仕様。

繊細な細工が施されたリボンモチーフのクラスプ。こちらもプラチナ製で、中央にはダイヤモンドがセッティングされている特別仕様。

〈ミキモト〉

ザ ベスト オブ ザ ベスト

ミキモト パールネックレス WK851 税込5,500,000円

アコヤ真珠 約8.50mm以上 9.00mm未満(全長約42cm)

留金/Pt製(フック部分/WGK18製)

ダイヤモンド 約0.04ct

エンブレムパーツ/Pt製 ダイヤモンド約0.02ct

※珠サイズによって価格は異なります。

/本館1階

[商品のお問い合わせ先]
本館1階〈ミキモト〉コーナー
TEL:052-264-2845(直通)

※数に限りがございますので、品切れの際はご了承ください。

ファッションエディター

天野 志穂

Shiho Amano

1973年神奈川県生まれ。上智大学卒業後、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社。雑誌『Vingtaine』、『ELLE Japon』のファッション担当を経て、2013年渡英。2018年に帰国した後、フリーランスとして活動。雑誌やWEB、広告などでディレクション、編集、執筆を行う。